1992年の春、ピエールカルダンは日本政府から民間の外国人としては最高の勲二等瑞宝章の叙勲を受けた。
その発表の直後に駐日イタリア大使の夕食会に招かれた。
20人足らずのこじんまりとした会で、主賓は大使の右隣に座る島津貴子だった。
「ピエールカルダンの最初の来日は、1958年。
パリモードこそが、世界のあこがれという時代に遠い日本までやってきて、立体裁断の技術を公開して、日本のファッション界に一種の革命をもたらしました。
それ以来41年間、日本でも人気のブランドであります。
カルダンは、1922年イタリアのヴェネツィアに近い農村に生まれ、両親と共に幼少期にフランスのロワール地方に移住した。
17歳のとき、近郊の町ヴィーシーの仕立屋に弟子入りするが、まもなく第二次世界大戦が始まり、兵役で赤十字軍に配属された。
その後デザイナーとして、数多くの作品を出してきた。
小さな国の予算を遥かに上回るといわれるカルダン帝国の財源は、世界百十数国にまたがる約900のライセンスの収入だ。
いまやちょっと名のしれたデザイナーなら、最低3つや4つのライセンスを持っているが、このリスクが少なく、確実な収入源となるライセンス方式をファッション界にもちこんだ元祖は、ピエールカルダンだ。
彼の力はまだまだとまらない。
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